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予防接種の説明・カウンセリングにおける実務課題  Vaccine Hesitancy(ワクチン躊躇)とHPVワクチンの日本・アイルランド比較に学ぶ信頼回復

2026/7/1 08:52

予防接種の説明・カウンセリングにおける実務課題  Vaccine Hesitancy(ワクチン躊躇)とHPVワクチンの日本・アイルランド比較に学ぶ信頼回復

予防接種の説明・カウンセリングにおける実務課題

Vaccine Hesitancy(ワクチン躊躇)とHPVワクチンの日本・アイルランド比較に学ぶ信頼回復

日本医療福祉機構 調査レポート|関連プロジェクト:予防接種啓発プロジェクト


1. はじめに――「制度がわかりやすくなる」だけでは解決しない課題

レポート49で詳述した予防接種制度の複雑さは、情報の伝え方を工夫することで、ある程度は改善可能な課題である。しかし、予防接種をめぐる課題には、制度の分かりやすさだけでは解決できない、より深い心理的な次元が存在する。それが「Vaccine Hesitancy(ワクチン躊躇・忌避)」と呼ばれる現象である。

Wikipediaの解説によれば、「ワクチン忌避とは、ワクチン接種が受けられるにもかかわらず、接種を遅らせたり、拒否したりすることである」とされ、「ワクチンは一般的に副反応のリスクより、個人や集団全体の病気や後遺症、死を減らす利益の方がはるかに大きいという科学的コンセンサスがある。そのため、世界保健機関(WHO)はワクチンのためらいを『世界的な健康上の脅威トップ10』にあげている」。この現象は、単に「情報を分かりやすくすれば解決する」という単純な問題ではなく、医療従事者・製薬企業が、患者・保護者との信頼関係構築という、より本質的なコミュニケーションの課題に取り組む必要があることを示している。本レポートでは、Vaccine Hesitancyの正確な定義、日本におけるHPVワクチンの事例、そして信頼回復に向けた国際比較の知見を、医療従事者・製薬企業のメディカルアフェアーズ・自治体関係者が活用できる形で詳述する。


2. Vaccine Hesitancyという概念の正確な理解

2.1 WHOによる公式な定義

厚生労働省の予防接種・ワクチン分科会予防接種基本方針部会の資料では、Vaccine Hesitancyの公式な定義が示されている。「the reluctance or refusal to vaccinate despite the availability of vaccine(WHO:The threats to global health in 2019)」とされ、日本語訳としては「『ワクチン忌避』『予防接種への躊躇』『反ワクチン』等が、現状使われている」とされる。

日本医事新報社(Web医事新報)の解説では、より学術的な定義が示されている。「Vaccine hesitancy(忌避,躊躇)は『ワクチン接種環境が提供されているにもかかわらず,接種遅延または拒否が発生している状況』と定義されています。それは,誰にでも存在するごく自然な考え方であり,お子さんに対してすべての定期接種を推奨通りに接種している保護者の中にも一定のvaccine hesitancyは存在しています」。

2.2 「反ワクチン運動」とは明確に異なる概念

この定義において極めて重要なのが、Vaccine Hesitancyと「anti-vaccine movement(反ワクチン運動)」との違いである。前述の日本医事新報社の解説では、「vaccine hesitancyには時間,場所,ワクチンの種類などが複雑に影響することが知られており,すべてのワクチン接種に一律に反対するanti-vaccine movementとは大きく異なります」と明記されている。

同様に、日本産業衛生学会誌に掲載された解説(産業保健分野)でも、「有効なワクチンが提供されても接種を受けない人々の中には,ワクチンに対する強い反感を持っているグループ(全体の5〜10%未満と推定される)だけでなく,それほど明確な意思を持たなくてもワクチン接種を躊躇する人がかなりの割合で存在しており,Vaccine Hesitancyはこれらの人々全体または後者を指していると考える」とされている。

この区別は実務上決定的に重要である。強固な反ワクチン思想を持つ層はごく少数(全体の5〜10%未満)であり、大多数のVaccine Hesitancyは、「明確な反対意思」ではなく「迷い・不安」という、対話とコミュニケーションによって解消しうる、より柔らかい心理状態を指している。医療従事者・製薬企業は、この2つの層を混同せず、大多数を占める「迷いのある層」に対する丁寧な情報提供とコミュニケーションに注力すべきであることを、この定義は示している。

2.3 SAGE Working Groupによる要因分析

厚生労働省の審議会資料では、Vaccine Hesitancyの背景を分析する国際的な枠組みも紹介されている。「質の低いコミュニケーションの結果として、ワクチンに関する人々の受入れが妨げられる可能性があることについて、指摘されている(Revised report of the SAGE Working Group on Vaccine Hesitancy)」。SAGE(WHO予防接種戦略諮問委員会)のワーキンググループが指摘するように、コミュニケーションの質そのものが、Vaccine Hesitancyの発生・解消を左右する重要な要因である。

産業保健分野の解説でも、「ワクチン躊躇の定義とその範囲を提案すること、そしてワクチン接種行動の意思決定に影響を与える因子を分類するモデルを開発すること」がSAGEワーキンググループの任務であったことが示され、「その範囲は、時間、場所、ワクチンによって異なり、複雑で状況に応じて変化する。また、自己満足、利便性、自信などの要因にも影響される」とされている。


3. HPVワクチンという日本の象徴的な事例

3.1 積極的勧奨中止という歴史的転換点

日本医事新報社の解説では、Vaccine Hesitancyがもたらした最も深刻な国内事例として、HPVワクチンをめぐる経緯が詳述されている。「国内においては2013年にhuman papillomavirus(HPV)ワクチンが定期接種化された直後,接種後の慢性疼痛と機能性身体症状が報告され,国は接種の積極的勧奨を一時的に中止しました」。

この事態がもたらした影響は極めて深刻であった。「その結果,HPVワクチンに対する信頼は大幅に低下し,今日においても国内における接種率は1%を下回っています」とされている。定期接種化直後の接種率の急落が、その後長期にわたって信頼の毀損として尾を引くという、Vaccine Hesitancyの実態を象徴する事例である。

3.2 アイルランドとの対比という重要な示唆

この日本の事例は、単独で語られるべきではない。同解説では、極めて重要な国際比較が示されている。「一方で,同様に一時的にHPVワクチン接種率が低下したアイルランドでは,国やアカデミアが積極的に接種を勧めたことによりHPVワクチンに対する信頼が徐々に回復し,接種率は60%前後まで回復しました」。

この対比が示す教訓は明確である。HPVワクチンへの懸念という同様のきっかけが生じても、その後の対応——国・学術界による積極的な情報提供・信頼回復の努力——の有無によって、接種率が「1%未満のまま」にとどまるか、「60%前後まで回復する」かという、著しい結果の違いが生じる。これは、いったんVaccine Hesitancyが広がった後こそ、医療従事者・製薬企業・行政による積極的で誠実なコミュニケーションが不可欠であることを示す、決定的な実証データである。

3.3 新潟大学の研究が示す教育アプローチ

新潟大学ウェブマガジンEvergreenの解説では、Vaccine Hesitancyへの対応を研究する国内の学術的取り組みが紹介されている。齋藤あや准教授(基礎看護学)の研究として、「特別専門員として参画したJPS(日本小児科学会)-AAP(米国小児科学会)Immunization Education Projectによる日本版Vaccine Information Statementsの作成」「妊娠中、出産直後、接種直前での予防接種教育による知識、態度、信念の変化」といった、体系的な予防接種教育・意思決定支援の研究が進められていることが示されている。

「保護者のための予防接種教育の資料」という具体的な成果物の存在は、レポート38で詳述した患者にやさしい医療コンテンツという視点が、予防接種領域においても重要な学術的裏付けを持って実践されていることを示している。


4. Vaccine Hesitancyへの対応という実務課題

4.1 コミュニケーション方法の重要性

MSD Connectの解説では、日本の医療従事者が直面する具体的な課題状況が端的に示されている。「世界の中でもワクチンへの信頼度が低い日本。子供やその保護者が予防接種を躊躇する場面に遭遇したことはありませんか?そのワクチンへの忌避(Vaccine Hesitancy)に対してどのように向き合うべきか、そのコミュニケーション方法のポイント」が、製薬企業による医療従事者向け教育コンテンツとして提供されていることが示されている。

これは、Vaccine Hesitancyへの対応が、単なる知識提供(正しい情報を伝えること)だけでなく、レポート21で詳述したSDM(共同意思決定)のような、対話を通じた信頼構築の技術を要する、コミュニケーションの専門的スキルであることを示している。

4.2 職域におけるワクチン躊躇という視点

産業保健分野の解説では、Vaccine Hesitancyが子どもの予防接種だけでなく、成人・職域の文脈でも重要な課題であることが示されている。「ワクチン接種意思に与える諸要因と職場」というテーマは、レポート4で詳述した職域での健康管理とも接続する視点であり、インフルエンザワクチン等の職域接種においても、Vaccine Hesitancyへの理解が重要であることを示唆している。

4.3 「強制ではなく対話」という基本姿勢

産業保健分野の解説では、Vaccine Hesitancyへの対応原則として、極めて重要な視点が示されている。「ワクチン接種には副反応等の悪影響が存在するため,集団免疫の獲得のために一定割合のワクチン躊躇の層が悪影響を及ぼすとしても,強制接種は限定的な状況のみとすべきである」とされている。これは、Vaccine Hesitancyへの対応が、強制や圧力ではなく、あくまで対話と信頼構築を通じたアプローチであるべきという、倫理的にも実務的にも重要な原則を示している。


5. アレルギー疾患・感染症予防領域における実践

5.1 帯状疱疹ワクチンにおける躊躇への対応

レポート11で詳述した帯状疱疹ワクチンは、高齢者を対象とする比較的新しい定期接種であり、費用負担・副反応への懸念といった、Vaccine Hesitancyの典型的な要因が生じやすい領域である。HPVワクチンの事例が示す教訓——初期の懸念に対して、医療従事者・行政が積極的かつ誠実な情報提供を継続することの重要性——は、帯状疱疹ワクチンの普及においても直接的に応用可能な知見である。

5.2 アレルギー疾患患者における接種懸念への対応

レポート7で詳述したアレルギー疾患を持つ患者・保護者は、「アレルギー体質だからワクチンの副反応が心配」という、特有のVaccine Hesitancyの要因を抱えやすい。こうした患者に対しては、レポート26で詳述した体系的な問診を通じて具体的な懸念事項を丁寧に聞き取り、個別化された説明を行うことが、信頼構築の鍵となる。


6. 製薬企業・医療機関担当者への含意

6.1 医療従事者向けコミュニケーション教育の充実

MSD Connectの事例のように、製薬企業がVaccine Hesitancyへの対応コミュニケーション技術を、医療従事者向けの教育コンテンツとして体系的に提供することは、レポート37で詳述したメディカルアフェアーズの役割の重要な一部として位置づけられる。

6.2 「反対派」と「迷っている層」の区別に基づく戦略設計

疾患啓発・予防接種啓発活動を設計する際、Vaccine Hesitancyの大多数を占める「迷いのある層」(強固な反対派とは異なる)に焦点を当てた、対話重視・不安解消型のコンテンツ設計が、限られたリソースを最も効果的に活用する戦略となる。

6.3 危機後の「継続的な信頼回復努力」という長期的視点

HPVワクチンの日本・アイルランド比較が示すように、いったん生じたVaccine Hesitancyへの対応は、一過性のキャンペーンではなく、国・アカデミア・製薬企業による長期的かつ継続的な信頼回復努力を要する。短期的な接種率向上を目指すのではなく、数年単位での信頼構築という視座を持つことが重要である。


7. まとめ

Vaccine Hesitancy(ワクチン躊躇・忌避)は、「予防接種サービスが利用できるにもかかわらず,接種の遅延または拒否が発生している状況」と定義される、世界保健機関が「世界の健康に対する10の脅威」の一つに位置づける現象である。この現象は、すべてのワクチンに反対する「反ワクチン運動」(全体の5〜10%未満と推定される少数派)とは明確に異なり、多くの場合、正確な情報と丁寧な対話によって解消しうる「迷い」として存在している。

日本のHPVワクチンをめぐる事例——2013年の積極的勧奨中止後、接種率が1%を下回る状況が続く一方、同様の懸念を経験したアイルランドでは、国・アカデミアの積極的な取り組みにより接種率が60%前後まで回復したという対比——は、Vaccine Hesitancyへの対応が、一時的な情報発信ではなく、長期にわたる継続的な信頼構築の努力を要することを、具体的な数値をもって示している。

SAGEワーキンググループが指摘するように、コミュニケーションの質そのものがVaccine Hesitancyの発生・解消を左右する。レポート49で詳述した制度の複雑さを分かりやすく伝えるだけでなく、患者・保護者一人ひとりの不安に丁寧に向き合う対話的なコミュニケーション技術の育成こそが、予防接種の説明・カウンセリングにおける実務課題への本質的な対応である。


参考情報・出典

  • 日本医事新報社「わが国におけるワクチンへの躊躇(vaccine hesitancy)について」Web医事新報

  • 新潟大学ウェブマガジンEvergreen「効果的な予防接種教育に関する研究/Vaccine Hesitancyへのヘルスコミュニケーション」齋藤あや准教授

  • 日本公衆衛生雑誌「Vaccine hesitancy(ワクチン躊躇)の現状,関連要因,評価,対策」J-STAGE、2023年

  • Wikipedia「ワクチン忌避」

  • 厚生労働省「予防接種におけるコミュニケーションについて」第36回厚生科学審議会予防接種・ワクチン分科会予防接種基本方針部会資料4-2

  • 日本産業衛生学会誌「ワクチン接種意思に与える諸要因と職場」J-STAGE

  • Know VPD!(VPDの会)「”Vaccine Hesitancy”を考える」ニュースレター

  • MSD Connect「予防接種におけるコミュニケーションについて」医療従事者向け教育コンテンツ


本レポートは公開情報・学術文献に基づき作成した調査レポートであり、個別の接種の判断を目的とするものではありません。予防接種に関する不安・疑問がある場合は、かかりつけ医にご相談ください。

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